人穴は富士山の噴火によって作られた溶岩洞穴です。
目次
“人穴”名前の由来
“ひとあな”って、なかなか不思議というか不穏な響きな名前ですよね。色々想像を掻き立てられてますが、どのような由来でこの“人穴”という名前になったのでしょうか?
諸説ありますが、以下2点が有力な説となっています。
・昔、古代人が洞穴内を住居として利用していたことから。
・洞穴内の形状が、人の乳や肋骨の形に見えるため。
“人穴”が心霊スポットとして注目される理由といえる3つの逸話
車でくぐると事故の遭う鳥居
人穴にまつわる都市伝説として、人穴の鳥居を車でくぐると無事に帰れないという話が有名です。
チキンな私はかつて実際に人穴に行った時、鳥居をくぐる事はせず、横の迂回路を使い進みました。
現在は、柵でふさがれいて通れないようになっています。やはり危険だからか!?と思ったら…
市によると、「鳥居の老朽化で上部の扁額が落ちる危険性があるため」とのこと。
あ、物理的に危険だから、ということね。
家来4人の突然の死!!鎌倉時代の『吾妻鏡』
鎌倉時代に書かれた歴史書『吾妻鏡』には、人穴の洞穴内で4人が不可解な死を遂げるというショッキングは記述が残されています。
建仁3年(1203年)、2代目将軍の源頼家が家臣である仁田四郎忠常に人穴洞穴内の調査を命じました。
仁田四郎は家来を引き連れて洞穴内へと進んでいくと、数々の怪奇現象が彼らを襲います。
大蛇が出るわ、無数のコウモリが飛び交うわ、人の叫び声が聞こえるわで、散々な目に遭います。
奥には大河が流れていて、そこから光が現れると、瞬く間に家来4人が突然死んでしまったのです。
仁田四郎は命からがら逃げ帰り、そして
「ここは浅間大菩薩がいるところだから、あえて見に行ったらアカン!」
と語ったと書き残されています。
室町、江戸時代以降には『吾妻鏡』の体験記が脚色された形で物語として広まり有名な心霊スポットになっていきました。
富士講開祖の角行の入滅
人穴は、富士講の開祖である長谷川角行が1000日間、洞穴内で修行をして悟りをひらいた場所として、富士山信仰の聖地となっています。
角行は富士講を全国に広げるため尽力し、そののち106歳で洞穴内で入滅したと伝えられています。
こうして人穴は富士講の聖地となり、歴代の行者や熱烈な信者が記念碑を立てたので、洞穴の西方には碑石が数多く立ち並んでいます。
“人穴”の祭神
人穴の祭神は三柱となっています。
・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
・角行
・徳川家康
木花咲耶姫命は絶世の美女と名高く、桜の語源ともいわれていますね。邇邇芸命(ニニギノミコト、初代神武天皇の曾祖父)が一目惚れして求婚されるという日本神話のスーパーアイドル。
家康公が祀られている理由は、三方ヶ原の戦いの時に、武田氏の残党に追われていた徳川家康を長谷川角行が匿ったという伝説が残されて、そのようなことから、御祭神として祀られています。
コロナ収束後に一般解禁!!
人穴は富士山の世界遺産構成資産の一つとして、富士宮市も力を入れて観光PRしています。現在はコロナの影響で、洞穴内ガイドツアーが中止となっていますが、再開された時には、あなたの目でこの人穴の神聖さと心霊さを確かめてみてはいかがでしょうか!?
人穴富士講遺跡案内(溶岩洞穴「人穴」入洞)予約受付について
市民の皆さんへ 2020年03月27日掲載 人穴富士講遺跡案内(溶岩洞穴「人穴」入洞)予約受付について 平成30年8月4日(土)から、案内所の開館日(土日祝日)に、洞穴「人穴」に入ることができるようになりました。 安全性確保のため遺跡内におけるガイド案内を予約制とさせていただきます。 (洞穴以外の自由散策は可能です。) ...