静岡県富士宮市上井出にある若獅子神社。
この神社には、先の大東亜戦争において大儀に殉じ散華した陸軍少年戦車兵の教官、生徒の600名の御霊が御祭神として祀られています。
若き情熱に燃え、勇猛果敢に活躍を遂げた少年戦車兵は「若獅子」の愛称でよばれていました。
境内には、陸軍機甲部隊の主力であった戦車、七九式中戦車が安置されています。
この戦車は、先の大戦で熾烈を極めたサイパン島での戦いで実際に使用されていました。
戦後30年の時を経て有志達の願いにより、かつて少年戦車兵学校が存在したこの地へ帰還が果たされました。
昭和14年に起こったノモンハン事変以後、日本陸軍は近代戦の中核である戦車隊の拡大強化を図るため、昭和14年12月に千葉の陸軍戦車学校に生徒隊を設け、少年戦車兵の教育を開始しました。
昭和17年8月には、ここ富士宮に陸軍少年戦車兵学校が移され本格的な養成が行われました。
兵学校には14歳から19歳までの若い戦車兵志願者が集い、勇戦奮闘し御国のために厳しい訓練をしていました。
昭和17年から終戦までの間、4000名余りの卒業生たちが戦場へと向かったのです。
かつて30万坪の敷地にわたり80の校舎や軍需工場がありました。
朝霧高原一帯は演習場でもありました。
戦車を間近で見ると、至る所に着弾した跡が点在しているのが見受けられます。
弾が装甲を貫通することもあったということで、当時の生々しい状況が伝わり胸が痛みます。
左側部。履帯が無残な状態でかろうじて残っています。
右側部。履帯が完全に失っています。
工具部品で作ったミニ戦車がお供えしてありました。
戦車のすぐ近くに合祀者の方々の名前が刻まれています。
昭和40年12月、学校跡であるこの地に戦没同窓生の慰霊と顕彰のため、この若獅子の塔が建立されました。
そして、建塔20年を期に永久平和への祈りをこめ、顕彰会の会員729名の奉賛により若獅子神社が創設されました。
学校の正門として使われていた門柱は当時そのままです。現在では若獅子神社の入り口となっています。